5000年の昔と今がつながる茅野
藤森新石器時代のビーナスは世界中で発掘されるんだけど、尖石縄文考古館にある国宝の「縄文のビーナス」ほどいいものはなかなか出ない。宗教的な信仰心が込められているだけではなく、あきらかに“見られること”を意識しているでしょう? こういう“かわいさ”が他の遺跡からは出てこないんですよ。
人類の美術史はラスコーのような旧石器時代の洞窟画から始まるんだけど、新石器時代になると、代表的な遺物は土偶や縄文土器なんです。その中心とも言えるのが尖石の遺跡。縄文土器は山梨や青森の遺跡でも出土されますが、美術品として美しい土偶や土器が出てくるのは圧倒的に尖石ですね。
酒井これが5000年前に作られたものでしょう?まるでピカソか岡本太郎の作品のようだね。質素だけど内に秘めたエネルギーを感じさせる弥生土器と違って、縄文土器は野性味とか生命力が表に溢れていますよね。
藤森縄文土器の中にも、秩序と緊張感のあるものもありますよ。下手な人が作るものもあれば上手い人が作るものもあるからね。ただ、縄文土器は個人の作品じゃなくて、集団的創造力の発露だから。これだけ充実した遺物が出土するのは日本のみならず世界的に見ても稀だと思いますよ。不思議なことに、世界屈指の土器と土偶がこの土地から出ている、ということはもっと地元の人も誇りを持っていいと思う。
酒井なるほど。茅野には他にも藤森さんが建築家としてのキャリアをスタートするきっかけとなった神長官守矢史料館もあります。これがまたいいんだよね。贅沢な素材を使って、近代的な建物を建てるのではなく、その土地にある素材を集めて作り上げられているところがいい。
藤森僕の父親は神長官守矢史料館が出来た時に、ちょっと不満げだったんですよ。市から依頼されたのに、なんでこんな古臭いボロ小屋作るんだってね(笑)。でもボロに見えるということは、少なくとも環境の邪魔はしていない。
酒井それがいいんですよ。北海道の旭山動物園も、拾った素材を集めて作られているでしょう。そうした建物には“貧しさの輝き”が宿るものです。僕が初めてここに訪れた時、藤森さんが「これ食べる?」って小さな木の実をくれた。お客さんにその辺で拾った木の実をあげる人なんてなかなかいないよ(笑)。そういう何気ない振る舞いが、フジモリ建築にもにじみ出ている気がします。だから国内外から多くの人が見に来るんだと思いますよ。
藤森日本はどうしても観光化で地域の大事なものが失われている気がする。もっとその土地の歴史や風土に根ざした施設づくりを目指すべきだと思うんです。
酒井生活との近しさが大事だよね。神長官守矢史料館から歩いて5分ほどのところには、藤森さんが設計した高過庵、空飛ぶ泥舟もあります。まるで現代美術家のヨーゼフ・ボイスの作品のようです。僕は高所恐怖症なので中には入れなかったけれど(笑)。茅野に来たら、ぜひ合わせて見て欲しいですね。
地域全体がミュージアム!?
辻野JR茅野駅と接続している茅野市美術館を含む茅野市民館を始め、茅野は多くのミュージアムが集積する珍しい地域だと思います。“縄文のまち”茅野を発信していくために、ミュージアムが果たす役割はなんだと思いますか?
岩崎先日、茅野市内の6館のミュージアムの連携事業として行なわれた「ちのミュージアム・ピクニック」というイベントに参加しました。私は茅野に長らく住んでいますが、移動は常に車なので、今まではそれぞれのミュージアムに行って帰ってくるだけでした。ところが今回、バスに乗って茅野を“巡る”という感覚を覚えました。
ガイドさんの解説を聞きながら車窓を眺めると、自分の知らなかった地域の歴史やつながりが見えてきました。八ヶ岳の自然や縄文遺跡など様々な観光資源があるのは知っていましたが、乙女滝の景観が江戸時代の農地開発によって生まれたことや、御柱祭の木落し坂が太古の昔に流れ出した溶岩で出来ていることは知りませんでした。これらの土地固有の“輝き”を知る入口が茅野のミュージアムの役割なのではないでしょうか。
酒井いままでは点だったミュージアムが線でつながる。これだけ魅力的な地域資源に恵まれた土地だからこそ、地域全体をミュージアムとして捉えるのは賛成ですね。
守矢八ヶ岳のある中部高地は日本列島の“へそ”にあたります。西日本と東日本の文化がぶつかりあう場所だからこそ、こうした優れた縄文文化が発達したのだと思います。自分が立っている土地の下から国宝が出土されるまちなんだ、ということ、“縄文”を身近に感じられるこの土地の魅力を、地元の人にももっと知ってもらいたい。そのために私たちとミュージアムは、八ヶ岳の自然や縄文遺跡を含めた周りの環境とともに、歴史を発信していく必要があると思います。
藤森周りの環境が、ミュージアムに影響するというのはあると思う。でないと、わざわざ遠くから来る意味がない。八ヶ岳総合博物館や康耀堂美術館、蓼科高原美術館は八ヶ岳の自然とセットで見て欲しいし、神長官守矢史料館は諏訪大社とセットで見てもらいたい。
徳永どのまちにも、文化的な資源が眠っているはずです。でも実は、地元の市民の方々のほうが、そうしたことに気づいていなかったりする。これはもったいないですよね。こうした地元の文化資源を発見して守り、伝える努力をしていくのがミュージアムの役割なのだと思います。
地域の”縄文力”を活かそう
酒井土地と深くつながっているという感覚を、もっと教育現場で養わなきゃいけない。絵を描くなんて高尚なことをしなくていい。まずは泥んこ遊びから始めたらいい。もっと野生を回復させる必要があると思う。美術と体育の授業を一緒にして、自然のサイクルを学ぶ機会をミュージアムが担ってほしい。
藤森僕は“縄文”をそれほど意識せずに茅野に育ってきました。この辺りに生まれると、空気みたいなものですから。ところが最近になって周りから言われるようになった。「5000年前と今がつながる地域は他にないですよ」とね。それから縄文について考えるようになった。
縄文土器の大きさを見ても、なんだか不思議でしょう。こんなに食べ物を溜め込んでいたのか、ということが想像できる。茅野のミュージアムではそれぞれ、土器づくりのワークショップや様々な教育普及活動を行っていますが、僕はね、これからは小・中学校で鹿狩りの授業を取り入れてもらいたいと思っている。文明が滅んでも生き残っていけるくらいの、縄文の人々の逞しさを受け継いでいるということが、この土地の自慢になったらいいと思いますね。