【対象者】
小川哲男さん(八十三歳)
【内容】
めでた、ドッコイサイト節などの記憶の聞き取り
エーヨー節は繭買いの人たちが歌って広まったのではないか(伊那は糸くり唄と呼ぶ)。
天屋節は臼に入れた天草を搗くときに歌った。餅搗きより少し大きな臼で、四人位で搗いて唄った。
昭和三十四年頃、NHKコンクールに出てドッコイサイトを唄い、二位になった。
ドッコイサイト節を盆踊りで踊った記憶がある。二パターンあり楽しい節回し、哀しい節回し=山浦風があった。いつ頃始まったかは分からないが、昭和初期まではやっていたと思う。
「めでた」は須栗平の小平忠実さんに教わったもので、いま唄える人がいなくなった。この地域の独特の節回しの唄なので是非継承して残してほしい
謡曲の「高砂や」は北信では唄われていたが、山浦の婚礼では「めでた」を唄った。
自分が八歳か九歳の頃、親戚の婚礼では子どもが雄蝶雌蝶のついた祝の銚子を持って出て来て、三三九度の杯を交わす時に「めでた」が唄われていた。
婚礼は自宅で行なわれ、十五~二十人が並んで座り、婿さんが唄えば仲人さんが唄を返す。列席した親類も唄う事がある。婚礼は近所の子どもがきて、障子に穴を開けて見ていた。
盆おどりはドッコイサイト節、ダンチョネ節をおかめ神社、上川の橋の下の河原(お墓の辺り)でやぐらを組んでやっていて、商店街の人たちが凧あげをした。お盆前後、一週間くらい盆踊りが続く。山浦方面は日が決まっていた。
「何とか残して欲しい。伝えてくれる人が欲しい。諏訪の企業家が芸能をもっと知って、人としてのゆとりを持って欲しいものだ。」と語った。
この企画は、平成24年度文化庁「地域の遺産を活かした観光振興・地域活性化事業」補助事業です。